もしも、出会い方が違ったら。

推しに恋をして、生きている毎日。

いつのまにかもう年が明けた

 

 

最初の記事を書いて、約10ヶ月あまり。

全然更新してなくて、する気もなくて、でも久しぶりにはてブロに来てみて素敵な記事に出会って、またふとブログを開いてみたんだけど。

 

あらまあ。

もう10ヶ月。

 

今はあの時こぼしていた彼とは違う人がすきです(苦笑)でもその時の彼の演技はまだとても好きで、舞台も観に行きたいし観に行きたいし観に行きたい!!

モチベはある。でもファンです。茶の間的な感じ。

なんでこうなったかわからないけど、彼のことを応援しながら出会った今の推しくんにある日突然落ちて。もうざっぶーーん!ですよ。

あんなに認知がどうたらこうたら言うてたけど、今の推しくんは人の顔を覚えるのがとても苦手な子で、認知もらうまでに色々なものが(主にお金と現場回数的な時間)がかかりにかかった。距離感近い現場なのに。めっちゃ色々かかった(苦笑)

でも認知まったく皆無の中で、彼が楽しそうにしているだけで幸せだったりして、よく持ったなあとおもう。反応厨がベースの私なのに。

今ではもうすっかりお顔を見たら推しは「あっ」て顔するし、笑いかけてくれるし、有難いことに対応は結構あからさまなもんで、被ってる子には相当な嫌われ者的なポジションを陣取っている。目障りなんだろうなあ。推しにしか興味がないってことが誰が見たって一目瞭然な態度を取るし、滲み出るリアコ感をそのまんまにしているので、被りさんからしたら心底嫌だと思う。邪魔だなあいつって私なら思う。

でも共演者にだって、共演者を推してる人たちにだってちゃんと愛想も振りまくしキチンとした姿で接している。推しが周りから「あんな子に応援されていいな!」て思ってもらえたらそんな幸せなことってないから、ちゃんとする。

おかげさまで構ってもらってます、ってなる時、嫌な顔されるのは絶対的に羨ましいと思われてるからだ。いいでしょ!!て思うけど、こうなるようにどれだけ努力したと思ってんだ。もちろん運やらタイミングやらもある。でもね、何も考えてなさそうに見える”だけ”で、私考えて考えて考えて行動してます。身だしなみとかそういうのは大前提だけど、覚えてもらうために、そして良い印象で覚えてもらうために、手紙やプレだけでなく態度、SNS...できることはなんでもした。考えた上で最高レベルを常に求めて。

そしてこのポジションを誰にも譲りたくない。私がいいなって思う被りさんは今のところいなくて、いないからこそ、いないままをキープするために頑張らなくてはいけない。自分のために。

 

友達がそのタイプだからっていうのもある。恵まれている。そこらへんストイックを極めてるやつが周りに多いんだよな。友達の推しからのオキニレベルは引くほどだから、感化されて私も頑張らなきゃってなるのもある。こんなんで満足してられないって。

 

そんな状況下なもんで、私はリアコをどんどん拗らせている。別に好きでこんなことになってるのではない。不可抗力というか。

だってどうしようもないんだもん。

何とか出来るなら誰かどうにかしてよ。(本音)

ファンとして出会ったから、恋人になるなんて難しいかもしれない。そんな現実的な話は重々分かっている。可能性の話でしょうよ。知ってますよ。

でも、私と彼は、ファンと俳優としてではないと出会えなかったのだ。

タイトルにもあるように、もしも出会い方が違ったら。そりゃあ何度も思いました。行きつけのコンビニの店員とかになれればよかったのにとか。

でも、もう出会ってしまった。出会った上でもう一度出会い直すにはお互いの記憶が薄れて見えなくなるくらいまでの時間が必要である。そんなの待ってられない。第一そんな時間が経ったら私のこの気持ちはいつまで消化されないことになるんだ。

明日死ぬかもしれないんだから、行ける現場がそこにあるなら行くしかない。

何度も自分を奮い立たせて現場に行った。

 

そんなこんなで今日も推しへのプレゼントを買いに行こうとしている。

最近推しがSNSを何にも更新しなくて寂しいから、寂しがってるくらいなら何かアクションを起こすのが私だ。

推しがいる人生

バンドやら男装的なやつやら、なんなら執事とかそういうものとかも追っかけたりしていたけれど、「若手俳優」というジャンルには手を出さないほうが絶対いい。私の場合は。だって現場通いとか大変じゃん。貢ぎ癖があるから、つぎ込めるだけというより若干破産ぎりぎりまでのお金をチケットだのプレゼントだのに変えて渡すじゃん。でも今まで追っかけてたものより遥かに距離感としては遠いから病むじゃん。絶対やめたほうがいい。近づかないでおこう。そうしよう。

 

 

 

 

そう思ってたはずが、今の推しは若手俳優である。何故こうなったかはちょっとわからない。いや、今の推しと出会ってしまったからなんだけど。

追っかけというものをはじめて6年くらい経つ。それがこの世界にいる人にとって長いのか、短いのか、わからないけど、ああでも年齢的には長いほうかな。6年も追っかけに費やしてるのかって感じ。あ、成人して結構経ちます。そんななかで、私は結構上手くやってこれたほうかと思う。嫌なこととか病んだこととかもあるけど、推しに関しては楽しくて幸せな思い出のほうが多い。色んなものに手を出したから、やたら経験はある。器用じゃないから同時進行は無理だったけど。だから、長く追ってたものもあれば、半年のものとかもある。若手俳優って自担っていうのかもしれないけど、推しのが使いやすいから推しって言わせてください。

 

6年くらい色々やってたけど、表ではとても猫を被る人種だった。それは今も。身内と呼ぶような友達は似た性格の子たちなので、その子たちの前ではそんなことないけれど、追いがいるところやTwitterではずっとずっといい子を演じて、そして被りに嫌われてきた。特技は被りに秒で嫌われることだと本当に思う。「ぱっと見は弱そう」という声をよくいただくwが本当にそうである。だからこそ、ちょっと猫を被れば、「女の子らしい」みたいな言葉を使ってもらえることも多い。まあまあ被りに反感を買う。実際直接的に嫌がらせとか推しとの接触邪魔されたりとかもある。そういうとき、悲しそうな顔はするが、内心「ばかじゃねーの」とか思っちゃってる。はー嫌な女。しってます。おかげさまで被りというものが無理です。やられてやり返すようなことはしないけど、やられたぶんだけ「お前より推しに好かれてやる許さん見てろよ」とかになっちゃう。その情熱どこからくるんだろ。自分でも謎。でも負けず嫌いだからかな。こんなやつに負けてたまるか、とかってことだろう。

 

そんな私がとうとう若手俳優を好きになってしまった。終わった、と思った。しかも今までみたいに認知が簡単に入るわけじゃない。更に終わった、と思った。認知がほしい反応厨だからだ。純粋に推しを追っかけられない自分は追っかけをやめるべきかもしれないがやめられるならやめてる。無理だから吐血寸前メンタルになっても続けてるのだ。

この先何かわあわあ言いたくなったとき、ここに書こう。と思ってブログをはじめた。

単純に書き散らすような場所にしちゃうと思うので、理解してくれなくていいから、理解出来なかったらそっとしといてください。