もしも、出会い方が違ったら。

推しに恋をして、生きている毎日。

推しがいる人生

バンドやら男装的なやつやら、なんなら執事とかそういうものとかも追っかけたりしていたけれど、「若手俳優」というジャンルには手を出さないほうが絶対いい。私の場合は。だって現場通いとか大変じゃん。貢ぎ癖があるから、つぎ込めるだけというより若干破産ぎりぎりまでのお金をチケットだのプレゼントだのに変えて渡すじゃん。でも今まで追っかけてたものより遥かに距離感としては遠いから病むじゃん。絶対やめたほうがいい。近づかないでおこう。そうしよう。

 

 

 

 

そう思ってたはずが、今の推しは若手俳優である。何故こうなったかはちょっとわからない。いや、今の推しと出会ってしまったからなんだけど。

追っかけというものをはじめて6年くらい経つ。それがこの世界にいる人にとって長いのか、短いのか、わからないけど、ああでも年齢的には長いほうかな。6年も追っかけに費やしてるのかって感じ。あ、成人して結構経ちます。そんななかで、私は結構上手くやってこれたほうかと思う。嫌なこととか病んだこととかもあるけど、推しに関しては楽しくて幸せな思い出のほうが多い。色んなものに手を出したから、やたら経験はある。器用じゃないから同時進行は無理だったけど。だから、長く追ってたものもあれば、半年のものとかもある。若手俳優って自担っていうのかもしれないけど、推しのが使いやすいから推しって言わせてください。

 

6年くらい色々やってたけど、表ではとても猫を被る人種だった。それは今も。身内と呼ぶような友達は似た性格の子たちなので、その子たちの前ではそんなことないけれど、追いがいるところやTwitterではずっとずっといい子を演じて、そして被りに嫌われてきた。特技は被りに秒で嫌われることだと本当に思う。「ぱっと見は弱そう」という声をよくいただくwが本当にそうである。だからこそ、ちょっと猫を被れば、「女の子らしい」みたいな言葉を使ってもらえることも多い。まあまあ被りに反感を買う。実際直接的に嫌がらせとか推しとの接触邪魔されたりとかもある。そういうとき、悲しそうな顔はするが、内心「ばかじゃねーの」とか思っちゃってる。はー嫌な女。しってます。おかげさまで被りというものが無理です。やられてやり返すようなことはしないけど、やられたぶんだけ「お前より推しに好かれてやる許さん見てろよ」とかになっちゃう。その情熱どこからくるんだろ。自分でも謎。でも負けず嫌いだからかな。こんなやつに負けてたまるか、とかってことだろう。

 

そんな私がとうとう若手俳優を好きになってしまった。終わった、と思った。しかも今までみたいに認知が簡単に入るわけじゃない。更に終わった、と思った。認知がほしい反応厨だからだ。純粋に推しを追っかけられない自分は追っかけをやめるべきかもしれないがやめられるならやめてる。無理だから吐血寸前メンタルになっても続けてるのだ。

この先何かわあわあ言いたくなったとき、ここに書こう。と思ってブログをはじめた。

単純に書き散らすような場所にしちゃうと思うので、理解してくれなくていいから、理解出来なかったらそっとしといてください。